いかなる理由があろうとそんなところで自殺されちゃあ関係のない人間はたまったものではない。
神に捧げる死?残った死体の後肩付けは誰がしたのか?
『すめらみこと いやさか』と三回唱えて?イスラムの狂信的テロリストの自爆テロが唱える『アラーアクバル』と一緒だろ?
NHK経営委員で埼玉大名誉教授の長谷川三千子氏(67)が委員就任前の昨年10月、新右翼の著名な活動家で朝日新聞東京本社で拳銃自殺した野村秋介氏について、「神にその死をささげた」などとする追悼文を文集に寄稿していたことが5日、わかった。
長谷川氏は安倍晋三首相が国会の同意を得て、昨年12月に任命した委員。首相の再登板を支援し、首相復帰後の昨年5月には首相公邸で食事をともにするなど近い関係で知られる。
長谷川氏の追悼文は野村氏の自殺について「神にその死をささげたのである」「彼がそこに呼び出したのは、日本の神々の遠い子孫であられると同時に、自らも現御神(あきつみかみ)であられる天皇陛下であつた」と称賛。野村氏の死によって、天皇が「(日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神となられた」と書いている。
追悼文集は、昨年10月18日に東京都内で開かれた野村氏の追悼集会「群青忌」で配るために制作された。発行元は「野村氏の弟子の一人」という蜷川正大氏が代表の二十一世紀書院(横浜市)。機関誌「燃えよ祖国」の発行や野村氏の著書の出版を通じ、野村氏の思想の普及活動をしている。文集は、集会に参加した約500人に配ったという。
蜷川氏は朝日新聞の取材に「(長谷川氏は)保守論壇で最も尊敬する学者の一人。先生の著書『神やぶれたまはず』を読んだか、は我々の合言葉」と話す。2000年に開かれた群青忌で講演してもらった縁があり、蜷川氏の方から寄稿を頼んだという。
長谷川氏は朝日新聞の取材に「追悼文は個人の活動で経営委員とは無関係。野村氏と面識はないが、著述を読んで非常に重要な問題提起をしていると思った」と説明。言論機関である朝日新聞社内で野村氏が拳銃を発砲した行為も「メディアに対するテロや圧力でなく、精神的な意味を見いだすべきだ」と話している。
放送法は、経営委員が個人の思想や信条を公にすることを制限していない。NHK経営委員会事務局は「個人の信条に関わることで、コメントする立場にない」としている。
日本を貶めてナンボの朝日新聞が国粋主義者のNHK委員をコキ下ろすhttp://hamaguri-inspire.blogspot.jp/2014/02/blog-post_6.html
神にささげるお供へもののほとんどすべては、人間がもらつても嬉(うれ)しいものばかりである。上等の御神酒(おみき)は言ふに及ばず、海山の幸やお菓子の類……。或(あ)るとき神社の奉納のお祭りをごく真近(まぢか)で拝見する機会があつたとき、ちやうどお昼を食べそこねて空腹で、目の前を運ばれゆくお供物に思はず腹が鳴つて恥ずかしかつた記憶がある。あゝ、さぞや神さまも美味(おい)しく召上るだらうなあ、と思つたものである。
長谷川三千子氏、政治団体代表の拳銃自殺を評価
しかし神にささげることはできても、人間に供することは決してできないものがある。自らの命である。よく陳腐な口説き文句に「君のためには命をささげる」などといふセリフがあるが、言ふ者も聞く者も、そんなセリフを文字通りに信じはしない。もしも本当にさう言つて、女の前で割腹自殺する男がゐたら、(よほどの毒婦でないかぎり)喜ぶ女はゐないであらう。下手をしたら、精神的打撃をかうむつたと言つて遺族に賠償を請求するかも知れない。人間は、人の死をささげられても、受け取ることができないのである。
人間が自らの死をささげることができるのは、神に対してのみである。そして、もしもそれが本当に正しくささげられれば、それ以上の奉納はありえない。それは絶対の祭りとも言ふべきものである。
野村秋介氏が二十年前、朝日新聞東京本社で自裁をとげたとき、彼は決して朝日新聞のために死んだりしたのではなかつた。彼らほど、人の死を受け取る資格に欠けた人々はゐない。人間が自らの命をもつて神と対話することができるなどといふことを露ほども信じてゐない連中の目の前で、野村秋介は神にその死をささげたのである。
「すめらみこと いやさか」と彼が三回唱えたとき、彼がそこに呼び出したのは、日本の神々の遠い子孫であられると同時に、自らも現御神(あきつみかみ)であられる天皇陛下であつた。そしてそのとき、たとへその一瞬のことではあれ、わが国の今上陛下は(「人間宣言」が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神となられたのである。
野村秋介氏の死を追悼することの意味はそこにある。と私は思ふ。そして、それ以外のところにはない、と思つてゐる。
(仮名遣いは原文のまま)
http://www.peeep.us/2d1f4054
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安倍首相の『靖国・アーリントン』比較は余りにも幼稚過ぎる
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