2014年2月10日月曜日

特攻隊は行う必要のなかった敗戦濃厚の大戦末期の『大本営』の尻拭い。

『二度と戦争を繰り返してはいけない』・・・特攻隊の遺書を読めば誰もがそう思い、涙なくして見れないものだ。
特攻隊員が書き残した遺書や手紙等は,「戦争の悲劇」,「愛する者への想い」が綴られた「平和への遺言」・・確かにその通りである、異論は全くない。

ただそれを特攻隊の主人公を題材にした娯楽映画『永遠のゼロ』を観た後のように『感傷的に浸って』・『情緒的』に美化しただけで思考を停止してしまっていいのだろうか?

『何故、特攻隊は必要だったのか?』・・・と自分の頭で考える事ができるなら、『考える』べきである。

そもそも当時の国家の指導者層でさえ無謀だと認識していた『対米戦争=太平洋戦争』は、
『陸軍と海軍のセクショナリズムによる決められない政治』によって戦争突入したものである。

もし敗戦濃厚になった時点で早期に無条件降伏を受け入れていれば、

彼ら若い青年将校は特攻する必要が無かったのでは?

ならば、死ぬ必要が無かったのでは?・・・・誰もがそういう疑問に到達するだろう。

『神風特攻隊』と英雄的扱いであるが特攻は通常の戦法ではない。

特攻はゲリラ戦そのものである。

『何故、当時の大戦末期の敗戦濃厚の戦況の中、陸・海軍は特攻隊を編成したのか?』

彼ら特攻隊は陸軍と海軍の官僚的参謀達のセクショナリズムによる『尻拭いとしての存在』である。
 (尻拭い=他人の失敗などの後始末をすること)
これで大本営・陸軍と海軍の参謀達は『互いの責任のなすりあい』の結果として両軍から特攻隊を出すことで妥協したのである。

『二度と戦争を繰り返してはいけない』・・・特攻隊の事実を知って日本人がそう思うなら、日本人の手でこの戦争の総括をすべきである。

東京裁判が総括?それは戦勝国が『勝者のセレモニー』としてやった『宴』にすぎない。
東条英機はじめとした処刑されたA級戦犯達はもちろん戦争遂行者として責任はあるけど、
敗戦国・日本からの戦勝国の『宴』への『人身御供』なのである。

特攻せよと命じることはいわば『死の宣告』である。
その『死の宣告』を命じた大本営を断罪するこそ日本人自身による戦争の総括でもある。

戦後70年以上たって今なお、特攻隊を美化する存在とする意味はあるのだろうか?
敗戦後、解体された大本営のOB達は政・官・財に入って中には大手商社の会長にまでなった人物もいる。彼ら大本営OBにとって特攻隊を美化することは社会的地位、立場、功績を正当化するものなのである。彼らが生きている間は特攻隊を美化する必要があるわけだ。

『死ね』と突然軍の上官から言われた若い将校達は死にたくなかったはずである・・・・ただ死ぬためのモティベーションを『己自身で』見出した。その答えが『家族』であり、『母』であり、『まだ見ぬ我が子』である。これこそ特攻隊の悲劇である。

『特攻隊は何だったのか?』とかを美化でなく感情論抜きで検証すべきであり、それが日本人による戦争総括の一つでもある。
でなければもう一度『同じ悲劇』を自衛隊にさせてしまうかもしれないのである
日本国を日本人自ら護る事は当然である、中韓から文句を言われる筋合いはない。
『核武装』という選択に迫られればそれもまた日本人自ら日本を護るオプションの一つである。
アメリカにも邪魔される言われはない。

ただ、日本人による戦争総括をしなければ『同じ悲劇』をまた間違いなく繰り返す。
今のままで繰り返す懸念がある。

敗戦後、陸軍・海軍は解体されたけれども『陸軍と海軍の官僚的参謀達のセクショナリズム』は今でも霞ヶ関官僚達に受け継がれている、それが震災復興の縦割り行政であり、福島原発事故での
誰も責任を取らない現状であるが、それを末端原発作業員を『決死隊』と美化したり、メディアはスポンサーの意向を汲んで報道すること避け、我々はどこか彼らの現実を直視する事を避けている。


(以下引用)
太平洋戦争末期、多くの特攻隊員が飛び立った旧日本陸軍知覧飛行場があった鹿児島県南九州市は4日、市立知覧特攻平和会館 が収蔵する隊員の遺書など333点の世界記憶遺産登録を目指し、国連教育科学文化機関(ユネスコ)本部に申請書を送付した。

 申請する遺品は「知覧からの手紙」と名付けた。市は、平和会館収蔵の約1万4千点のうち、隊員の名前や日付が記載され、本人の 直筆であると特定できる165人分を選んだ。

 1945年6月3日に知覧から飛び立った同県隼人町(現霧島市)出身の若松藤夫少尉=当時(19)=は絶筆(最期に記す遺書)に「母様 藤夫は笑って征(ゆ)きます」とつづり、母への万感の思いを込めた。霜出勘平市長は「極限状態の中で大切な人に残したメッセージを通じ、二度と戦争を繰り返してはいけないと世界に発信したい」と話した。

 世界記憶遺産は、忘れてはならない貴重な文書などの保護を目的に創設。オランダの「アンネの日記」をはじめ、国内では山本作兵衛が描いた福岡県筑豊地域の炭鉱記録画など3件が登録されている。2015年の登録に向けては、国が京都市の東寺に伝わる国宝 「東寺百合文書」、京都府舞鶴市が「シベリア抑留と日本人の引き揚げ関連資料」の申請書提出を目指している。1カ国の推薦は2件までで、日本ユネスコ国内委員会が今後、審議する。

ソース(西日本新聞) http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/67667

知覧特攻平和会館は,太平洋戦争末期沖縄戦で,人類史上 類例のない爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たりし亡く なられた陸軍特別攻撃隊員1,036名の遺影・遺品・遺書・手紙などを保存公開しています。
特攻隊員が書き残した遺書や手紙等は,「戦争の悲劇」,「愛する者への想い」が綴られた「平和への遺言」であります。
これら資料は,戦争の悲惨さを世界の人々に語り継ぎ,「二度と戦争を起こ してはならない」ということを発信する,人類にとって極めて貴重な記憶遺産であると信じています。
私たちは,特攻隊員が出撃前に書き残した「知覧からの手紙」(知覧特攻遺書)を毀損・消失することなく保存し,人類の宝として次の世代に永久に語り継いでいくために,2015年のユネスコ世界記憶遺産登録を目指します。
http://www.chiran-tokkou.jp/news/sekaiisan/index.html




0 件のコメント:

コメントを投稿