2013年12月10日火曜日

部落解放運動や在日差別?をマンデラ・キング牧師と同列に扱うのは失礼

まず米国や南アの黒人差別と部落差別・在日差別を『同じ土俵』に上げるのは間違いなのであり、公民権運動やアパルトヘイト撤廃に命をかけ投獄覚悟で尽力した運動家と税金に寄生する部落解放同盟や総連・民団などの『人権屋』とを同列に扱っては彼らに対し失礼である。

所詮、パチモン(部落解放運動)が本物(公民権運動・アパルトヘイト撤廃)と肩を並べようとするのは無理な話なのである(笑)
在日差別に至ってインチキなんで論外(笑)

米・南ア共に民主主義を標榜した法治国家でありながら両国において『制度』として黒人差別が合法化されていた時期があった。
つまり『黒人を人ではない』と規定していたのである。
それを民主的運動によって権利を獲得したのである。
もうここから戦争に負けて『米国に基本的人権をもらった日本』とは根本的違うのである。

部落解放運動とは~

江戸・幕藩体制化の当時の日本において各藩ごとにその士農工商というベースの身分体系と更にその枠外に『エタ・ヒ二ン』が置かれた。

実態的には幕府・藩から最も経済的・精神的に搾取されたのは重い年貢を課せられた階級的に二番目の農民である。

要は二番目というポジションは農民に対しての懐柔策であったに過ぎない。

『エタ・ヒ二ン』と呼ばれた人達は農耕・牛馬の死体処理、『刑場』での遺体処理、とそれらからもたらされる内臓から薬・油を抽出して生業にする者もいてそれらを『扱える地位を独占・特権的』に藩から与えられていた『現業公務員的身分』だった。
更に年貢から逃れるための藩外への逃亡、ムラの監視などの『警察官的』役割を担っていた特権的身分だった。

自治体・解同・日教組・教委の同和教育が言う『部落=貧困・差別・かわいそう』のは同和利権の根拠にするための捏造のプロパガンタによる洗脳の結果であって、むしろ重い年貢を納める農民から見れば『差別される存在より嫌われる存在』だったとする方が自然である。よって封建体制の身分制度によって部落差別が生まれたのはインチキでっち上げなのである。

明治維新の幕藩体制崩壊による刑場廃止等によって『エタ・ヒ二ン』は士族の廃刀令と同様にその『特権的地位』は奪われ、一部は各ムラの牛馬屠場・監獄の官吏に従事した。

近代化で身分制の廃止もあったが一番大きかったのは『地租改正』で『米本位制』は放棄されて『貨幣経済』に完全に移行したことだろう。これによって旧身分に関係なく『富める者と富まざる者』という、格差が生まれ、

『嫌われていた元エタ・ヒ二ンとその子孫』へその不満がいじめという形に向かうのはムラ社会では当然である

↓ここ重要
要は部落差別とは今も警察が嫌われているように、江戸時代に『自分達年貢を納める農民』を監視、時には捕まえる『年貢を納めない元エタ・ヒニン、とその子孫への報復的ないじめ』がルーツ(笑)

現代の視点から言えば、納税者である市民が税金で食わしてもらっている公務員を批判するのと同じ構図。

だから・・・

『エタ・ヒニン』が

どういう存在だったのか?→現在の『警察』的存在で様々な特権を付与されていた。
どういう仕事をしていたのか?→年貢を納める農民の監視・逮捕・拘留・取調べの権限付与
何故そんなことをしていたのか?→年貢=藩の経済基盤だから確実な年貢徴収のため。

以上の事実を自分の頭で考え、理解できるならば、

『部落民=貧困・差別されてかわいそう』などいうのはインチキ・嘘で、実際は『部落民=藩の現業公務員的存在』、では一番かわいそう苦労したのは重い年貢を課せられた農民だよね、今現在税金納めている一般市民と財政難なのにボーナス出る公務員と何ら変わらないよね、と結論が導き出される。

そのインチキがばれるのを恐れて解同は『エタ・ヒニン』を禁止ワードにしたり自作自演をしててでも『差別』がある!という演出に余念がないわけ(笑)


余談であるが本来『警察』嫌われる存在であって『警察』自体がそのことを十分承知している。
逮捕権・刀(拳銃)の所持という点では警察=ヒニンである実体は今も変わっていない。
その根拠を与えているのが『藩』から『国』に変わったに過ぎない(笑)

だからTVで1クールごとに『警察24時~』とかのアリバイ・プロパガンタ番組を放送するわけ。
同時にメディア・大衆宣撫工作でもある。

言い換えるならば今日の学校・職場等の『いじめ』、それを原因とする『自殺』こそ日本の人権問題として国策でやらなければいけない、と言える

在日差別(笑)は戦後、自分の意志、なんらかの『個人的理由』で
日本に留まったにもかかわらず強制連行だと嘘を言って同情を求めたり経済的支援を得るための詐欺的方便(笑)
これぞ本当のユスリ・タカリ。


世の中から理不尽な差別をなくすには、抑圧する側の権力を奪うだけでは不十分だ。 
抑圧する側と抑圧される側が歩み寄り、信頼と和解を礎に共生の道を切り開く。 
それを欠いた民主政治は本物ではない。 

南アフリカの元大統領ネルソン・マンデラ氏は、そんな哲学を貫いた人だった。 
確かに、真の自由社会をもたらすものは、排他ではなく、共存の思想であろう。 
日本と世界に通じる教訓がそこにある。 

南アのアパルトヘイト(人種隔離)は、少数派の白人を優遇し、多数派の黒人を差別した。 
その撤廃に生涯を捧げたマンデラ氏は、白人追放と黒人支配を求めたわけではない。 
1964年の法廷で終身刑を言い渡される前にこう語った。 

「すべての人びとが手を取りあい、対等の機会を与えられ、共存する。 民主的で自由な社会を理想に抱き続けてきました。もし必要なら、この理想のために命を投げ出す覚悟です」 

今から見れば、だれもが共感できる考え方だ。だが、白人政権がこれを認め、 
制度の撤廃に動きはじめたのは、国際社会に抗議と制裁の動きが広がった1990年代になってからだ。 

マンデラ氏の監獄生活は27年に及んだ。やっとの解放後、 
デクラーク大統領に制度の完全撤廃をもとめる一方で、 
黒人支配への白人の心配を打ち消し、全国民の和解を訴えかけた。 
暴動が減り、大統領が過去を謝罪した背景には、そんなマンデラ氏の誠実さがあった。 

暗殺や盗聴など黒人への迫害行為を告白し、被害者の許しを得る真実和解委員会も、 
マンデラ氏の哲学がもたらしたものといえるだろう。 
加害と被害の過去から来る心のわだかまりを解く。そのうえで未来を共有する関係を築く。 
歴史の傷が政治も世論も支配しがちな世界のなかで、希少な国家再建モデルを示した。 

いまも世界に紛争は絶えず、不信の政治が横行している。 
中東、アフリカ、アジアなど各地で内戦や分断が続いている。 

日本社会も例外ではない。歴史の曲折をへて同じ国に暮らす在日コリアンに向けられるヘイトスピーチ。 
思想をたがえる人たち同士のネット空間での争い。 
地球も国も街もますます狭くなるときに、不寛容が政治や社会を侵食しているのはなぜか。 

冷酷な人種差別と長い苦難の中にあってなお、共生の真理を見抜いたマンデラ氏の生涯は、 
そんな今の時代だからこそ、いっそう輝きを増している。 

http://www.asahi.com/paper/editorial2.html 


部落解放運動の父と言われる松本冶一郎が人権運動家として国際的にも全く相手にされていないという事実。

そもそも部落解放運動なるものは『恫喝と被害者意識』の緩急自在で行政・税金にタカル、寄生利権ビジネスであって、
その中核団体、部落解放同盟も差別をでっち上げて利益を得る営利企業とも言える

そういった意味で松本冶一郎はその『ビジネスモデル』を確立したパイオニア、中興の祖というべき存在なのであろう。

福岡空港利権問題[編集]
板付飛行場(今の福岡空港)の拡張を予想して周辺の土地を買占め、それを空港用地として国に貸し付けた。地権者の筆頭である松本一族らへの地代総額は年間80億円にも達するという[17]。福岡空港の土地建物借料は日本全国の空港の中でも突出して高額であり[18]、この結果、福岡空港は毎年67億円の赤字を出している[19]。松本が空港建設に先立って周辺用地を買い占めたのは、彼が衆議院議員としての立場を利用し、空港建設計画に関する情報を事前に入手していたためとも指摘されている



『恫喝』、時には『私達は差別されてるかわいそうな人達だから優遇・特権は当たり前!』というビジネストークは部落解放同盟の『社是』(笑)
こいつら(同和利権屋)にマンデラの言葉など理解できるわけがない。






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