2013年8月28日水曜日

全国学力テスト~日教組王国三重では成績下位低迷子供がバカになりました

4月に行われた全国学力テストで、県内の公立小中学生の平均正答率は、抽出方式で行われた昨年に続き全教科で全国平均を下回った。

 テストは4月24日、全ての小学6年生、中学3年生を対象に行われた。県内では、公立小中学校(特別支援学校を含む)557校、約3万3000人が参加。国語、算数・数学の2教科で、それぞれ基本的な知識を問うA問題、応用力をみるB問題が出題された。

 県教委によると、小6の算数Bの平均正答率は全国平均を3・1ポイント下回る55・3%、中3の数学Bも2・2ポイント低い39・3%と、算数・数学の応用力で課題が浮き彫りになった。小6の国語Bも46・7%と全国平均を2・7ポイント下回っていた。

 また、同時に実施された生活習慣や学習環境等に関する調査では、「家で授業の復習をしているか」との質問に、「している」「どちらかといえばしている」と答えた割合は小6が全国平均より5・7ポイント低い45・7%、中3が6・1ポイント低い42・5%だった。

 県教委は昨年度からモデル校100校に校長OBなどを派遣して授業改善などに努めているが、「今回の結果を厳しく受け止め、市町と連携して学力向上に向けた取り組みを一層進めたい」(小中学校教育課)としている。

(2013年8月28日  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/mie/news/20130828-OYT8T00058.htm


わたしたちのめざすもの・・・子供を利用し、洗脳しイデオロギー実現・組合貴族のロボトミー化(笑)



999年12月号 正論
広島よりひどい! “日教組王国”の惨状 勤評「オールB」、「不正出張」はあたり前。反日・自虐教育もやり放題。「お伊勢さん」の地元を抉る!
皇学館大学助教授●松浦光修(まつうら みつのぶ)
 
日教組組織率全国一位の三重県
 
 日本人の心のふる里とも言われる「お伊勢さん」の地元の三重県が、じつは広島県にまさる日本一の偏向教育県であるということは、本年五月三十日付産経新聞第一面で示唆され、『正論』七月号の「全国高校教育偏向度マッブ」で、統計的に指摘されたところである。私は、それらの報道を知った直後、「神社新報」に「無惨やな神の御もとの教育界」という一文を発表し(六月二十八日)、それらの記事内容への注意を呼びかけたのだが、それを契機として、私のもとには皇学館大学の地元である三重県民から、匿名を条件として、いろいろな情報が寄せられはじめた。
 このような動きのなか、『正論』十月号に渡辺毅氏が、「私の日教組打倒論・教員を志す若い人たちへ」(以下、渡辺論文と略す)という一文を発表し、ここにおいて、戦後、長いあいだ秘密のべールに閉ざされてきた三重県公教育の現状が、現職の公立中学校教諭によって、全国にはじめて明らかにされることとなった。その意味で、渡辺論文は画期的なものであったと思われるが、とくに私の注意を引いたのは、次の諸点である。
 (1)一般に、三重県は「日教組の加入率が八〇%以上で全国一位」と言われているが、実質は「一〇〇%に近い」日教組の専制支配下にある。
 (2)その三重県教職員組合(以下、「三教組」と略す)の組合員数は約「一万一千五百人」、一人あたり「平均約十一万円」の組合費が給料から“搾取”されるので、三教組だけで、年間「約十二億六千万円」という巨額の活動資金が捻出されている。
 (3)平成十四年から施行される小中学校の学習指導要領の「総合的学習の時間」は、日教組のすすめる反日・自虐教育に利用される可能性が高い。
 (4)「三重県の教職員の勤務評定は、形骸化され、ABC評価の無差別オールBで職員に開示」されている。
 これらのうち、とくに(4)の指摘は、まさに衝撃的であったというほかない。というのも、渡辺論文が発表される直前の八月二十九日、産経新聞第一面で、広島県中部の小・中学校の勤務評定についての問題が報道されていたからである。
 
勤務評定「オールB・開示」の実態
 
 「校長が教職員の勤務成績を記入する」のが「勤務評定書」であり、これは、どんな仕事にもつきものの業績評価の一種にすぎない。ところが、これに対して広島県教職員組合(以下、広教組と略す)は、「勤務評定は差別につながる」、「全員同一評定にしてほしい」などと要求し、一部の地域では、組合員の全評定項目(三分野七項目)が、五段階評価で、すべて上から二番目の「優良である」に統一され、そればかりではなく「指導」という名目で、なんと勤務評定を「組合員一人一人に点検された」校長もいる、というのである。その問題が指摘された時点で、広島県教育委員会(以下、広教委と略す)は、「事実とすれば、勤務評定に関する県の規則に低触する可能性が強い」とし、調査をはじめることを表明し、九月に入ると、勤務評定書の直接点検を行うことも示唆している。九月十一日付産経新聞によれば、広島県の辰野裕一教育長は、「勤務評定書は公正な人事管理を行うための基礎資料であり、意図的に(同一評価が)行われているとすれば、是正すべき課題と考えている」と明言、「県内全域の調査に着手したことを明らかにした」という。
 それでは現在、三重県の「オールB・開示」は、具体的には、どのようにして行われているのであろうか。以下、複数の情報を筆者なりに再構成し、おおまかな輪郭を記してみよう。
 毎年、九月中旬の時期を三教組では「勤評期」と呼ぶが、このころになると、三重県の公立学校の教員は、一人一人校長室に行くことになる。校長の机の上には、その教員個人の「勤務評定書」が、わざとらしく開けてあり、教諭たちは次々とやって来ては、自分の「勤務評定」を見て、それが「オールB」であることを確認するわけであるが、この間、校長は部屋を空ける場合もある。校長たちが勤務評定書を「見せている」のではなく、それを教諭たちが「のぞき見」している、という「かたち」にするための儀式であるという。学校によって、さまざまなヴァリエーションはあるそうだが、ほとんどの学校で、こうした茶番劇が、毎年くりかえされているらしい。
 注意すべきは、そこには何の緊張感も見られない、ということである。なぜなら、それは「あまりにも当たり前のことだから」という理由のようだ。
 しかし、かつての三教組の「勤評闘争」は、まことに激しいものであった。昭和三十三年七月六日付の「朝日新聞」には、「教育長、首つり自殺/四日市で、勤評を苦にして」という大きな見出しの記事がある。これは、勤務評定反対を主張する三教組「三泗支部」の激しい攻撃を受け、心身ともに衰弱した四日市市教育長・染川清一郎氏が、同年七月五日、四日市市役所内の学校教育課内の帽子かけに電気コードをかけて首つり自殺をしたという事件である。そのころの三教組は「話し合い」と称して、たとえば、七月一日は、午後三時から翌日朝の午前四時半まで、染川氏を“つるしあげ”ている。三教組「三泗支部」の攻撃は、それにおさまらず、つづいて二日、三日、四日と毎夜くりかえされ、多い時は、三百人が染川氏を取り囲んでいたという(『四日市教育史』昭和五十七年刊/四日市市立教育研究所)。
 染川氏は明敏な人であったらしく、前々から日教組の暗い野望を鋭く見ぬいていた。自殺の三か月ほどまえの四月二十七日、染川氏は、「勤評闘争」に関して、「教育によって日本の共産化をはかろうとしているものすらある。社会党の左派に属する日教組としては教育をわが手に収めるための謀略である」と、ひそかに書き記している(染川清一郎遺稿『清芳』昭和三十五年刊)が、それゆえにこそ三教組は、染川氏に許しがたい何かを感じていたのかもしれない。そのころの三教組が、いかに人権を無視した攻撃を展開していたか、ということは、当時を知る三教組前委員長・西地保宏氏が、正直に、こう語っていることからも明白である。
 「三教組の場合も対立の時代が長かった。勤評闘争の頃が、最も厳しかったんでしょうか。各学校で校長に対する無言闘争というのまでやったんですから。校長には一切口をきかないんです。どうしても必要な場合はメモを渡す、というくらい徹底的にやったようです。“シカト”ですね。いじめの一種の。これはやられる方はたまらないと思いますね。わたしなんかならノイローゼになってしまいそうな。組合員全体も校長を敵視していたんでしょうね。そうでなければ、こんな非人間的なことできるわけがない」(『三教組五十年史』平成十一年刊/三重県教職員組合)。
 現在、三重県は、「いじめ発生率ワーストランキング」全国二位(前掲「全国高校偏向教育度マップ」)であるが、こうした記事を見ると、もしかしたら現在の一部の生徒たちは、かつての教諭たちの「非人間的な」部分を、心理の深層で継承してしまい、それを素直に実践しているにすぎないのではないか・・・と、そんなことさえ考えてしまう。
 ともあれ、「オールB・開示」は、このように四十年まえの三教組が、四日市市教育長を死に追い込んでまで獲得した不正な利権なのであるが、今ではその「闘争成果」も当たり前のこととなり、それを、それほどありがたいとも思わない教諭たちが増えつつあるわけである。
 昔の「闘士」の方々には「まことに御愁傷様」と言うほかないが、ともあれ現在も、なお、三重県教育界では、「意図的」に「同一評価」が行われ「公正な人事管理」ができていないということは、疑いようもない。
 もっとも、三重県教育界において、これは秘密でも何でもないことらしい。三重県の教育職場でならばどこででも手に入る、ごくありきたりの資料「三重県教組新聞」には、「目標・課題」の「民主的な職場をつくります」の項に、「勤務評定の『無差別オールB・開示』を堅持します」と明記されているからである。
 引用したのは、「一九九五年五月十五日」発行のものであるが、そうじて三教組の出版物の紀年法は、西暦に統一されている。むろん日教組の基本方針が、「『君が代』『日の丸』『元号』を、学校現場に強制的に持ち込もうとすることには強く反対」(前同)するというものだからであろう。本年八月に、いわゆる「国旗国歌法」が成立したが、昭和五十四年に成立した「元号法」に対しても“二十年一日”のごとく、強く反対しつづけてきたのが日教組である。そういう団体が専制支配する職場で、次の卒業式・入学式からは劇的な変化がおこるであろう、などと期待するのは、少し楽観的にすぎるであろう。
 しかし、渡辺論文の発表から、すでにかなりの日にちがたっているにもかかわらず、三重県教育委員会(以下、三教委と略す)は、「無差別オールB・開示」に対して、何の反応も示していない。本誌の発売は十一月一日だが、それまでに何らかの改善がされるとも思えない。ことは、全国紙の第一面に取り上げられるような公務員の職業倫理の崩壊であるにもかかわらず、である。
 
広島を超える三重の不正出張
 
 広島県の勤務評定の問題が、新聞紙上を賑わせていたのと同じ時期、広島県議会で問題とされたのが、「破り年休」の問題であった。これは八月十九日、県議会の文教委員会で明らかになったもので、要するに、県立学校の教諭が、勤務時間内に組合の会合に出席するために学校を離れるさい、いったんは「年休届」を提出するが、あとでそれを破棄するという習慣がある、というのである。実際は年休扱いで学校を離れていながら、表面上は学校で勤務していたことにして、年休の残り日数を減らさないようにするという、なんとも姑息な方法であるが、これは明らかに「地方公務員法の職務専念義務や組合活動に関する県条例に抵触するおそれ」がある。そういう悪慣行が、実際は「野放し状態」であったことに対して、広教委は、すべての県立学校に出勤簿の写しを提出するよう強く求めたが、広教組は、これを「外部からの介入」であるとして反発した。
 広教委の林誠管理部長は、「なぜ県教委が出勤簿の提出を求めることが『外部からの介入』となるのか。教職員の勤務が適正となるよう、処分も視野に厳しく対処したい」と述べている。県議会文教委員会も学校現場の実態の調査に乗り出し、九月十日、辰野裕一教育長は、「破り年休は地方公務員法に違反しており、今後、指導を徹底していく」、また「適切に対処できなかった県教委の責任も大きい」と言明しており、ついに県教委の処分も示唆されることとなる。
 同じころ、広島県の市民団体「広島県の教育を考える市民の会」は、広島県に対して、「破り年休」は「地方公務員法の職務専念義務違反に当たり、不正に給与を得ていたことになる」とし、「破り年休を行った教員の組合活動時間分の給与返済をもとめる監査請求」を行った。これは、いわば「納税者の怒り」のあらわれであろうが、その怒りは監査請求にとどまることなく、ついには広島市内における、街頭での署名活動という行動にまで発展している。
 しかし、三重県の場合は、広島県のように「年休届を破る」必要はない。また組合活動のために授業を休む必要もない。なぜなら組合活動を優先した「時間割り」が、年度当初から組まれているからである。広島県の場合は、「火・金曜の午後」の組合出張が問題にされたのであるが、三重県の組合員のなかには休日を除く、ほぼ「毎日、午後」、組合支部に“出張”する教諭が少なくないのである。三重県内の公立学校では、各地域の学校の「回り持ち」や「推薦」で三教組の「執行委員」が選出されるが、選出された委員は、年度当初から午前中の授業しか組まれない。「執行委員」は、昼食は、学校でとったり地域の組合支部でとったりとさまざまであるが、基本的に午後は、その地域の組合支部で、三教組関係の仕事に忙殺されている。つまり組合活動が、学校の授業計画よりも優先されているわけであり、たとえば、ある三重県公立中学校教諭の時間割りを見ると、月曜以外は、火曜から金曜まで、まったく午後の授業が入っていない。これは、その教諭が三教組の「執行委員」だからであるが、さらに、三教組の幹部クラスになると、一週の授業時間は、合計しても四時間ほどに押さえられているという。驚くほかないが、こうなると、これらの教諭の本務は、いったい学校での教育なのか組合での活動なのか、と問わざるをえない。
 もっとも今は、自分から進んで「執行委員」になりたがる者はほとんどいない、というのが実情である。そうじて三重県の教諭たちは、組合活動というものを、「義理でやる町内会の仕事のようなもの」と認識しているらしい(たしかに日教組は正規の労働組合ではなく、任意団体にすぎない。なぜなら、彼らの多くは「公務員」だからである)。しかし、正規の勤務時間中に「町内会の仕事」に専念しながら、正規の給与が与えられるような職場を、私は他に知らない。それが「地方公務員法」の「職務専念義務」に違反するものである、ということを知ってか知らずか、今も、三重県の教諭たちは、なんの緊張感もなくダラダラと組合支部に不正出張をつづけている。
 公務員法違反の行為は、まだほかにもある。たとえば、選挙前に、組合の支持する特定の政党・候補者の支援活動をしていることである(渡辺論文「支持者カードの件」を参照)。
 組合への不正出張は、明らかに公務員給与の不正流用に相当すると考えられ、選挙前の特定候補者の支援活動が、公務員法違反であることは明白であるから、これらの点の早急な調査と是正も、三教委には強く望みたい。
 
学校と組合のはなはだしい癒着
 
 しかしながら、以上の諸問題の調査・是正に、三教委が本気でとりくむ気があるのかどうかは、今のところ疑問である。三重県は、本年春の小・中・高等学校の卒業式・入学式での国旗掲揚・国歌斉唱の率が、全国的に見て異常に低いが、これに対して、三重県教育長・中林正彦氏は、「あくまで各校で決めること。無用な混乱を招くような職務命令としては指示しない」という、不思議な見解を示しているからである(九月十八日付産経新聞)。
 これを見て、かつての広島県教育長・菅川健二氏のことを想起するのは、私だけではあるまいが、もしも中林氏と菅川氏が同様の人物であるとすれば、良識ある三重県民は、いったいどうすればよいのであろうか・・・。
 以上のように見てくると、三重県においては学校と組合が、分離不可能なほど癒着してしまっている、という結論になる。これは明らかな「公私混同」である。しかし、考えてみると、ある意味で、そういう職場は“楽園”であろう。人の不正や失敗を批判しなければ、いつか自分が不正や失敗をしたとしても批判されることはない。「かばい合い」というか「傷のなめあい」というか、人というのは、そういう「安心感」の魅力の前には、とかく無力なものであろう。
 しかし、その一方で、そういう教諭たちの「安心感」と引きかえに、犠牲の羊として供されているのは、まちがいなく三重県の公立学校に通う生徒たちと、その父母たちなのである。
 三重県では、それらの“弱者”たちの声が、ほとんど表に出てこない。「いじめ発生率ワーストランキング」全国二位(前掲「全国高校教育偏向度マップ」)の県で、どれだけ深刻な事態が、ひそかに進行しているかは、想像するにあまりある。かつて私の教えた三重県出身の学生が、小学校時代にひどい「いじめ」を受け、「あのころは地獄でした」と語ってくれたことがある。この学生は、私立中学に進学することによって、とたんにその「地獄」から解放されたという。その話を聞いたころ、私は、それは特殊な事例であろうと思ったのだが、今の私は、それを、三重県の教育現場に対する無知にもとづく誤解であったのではないか、と思い直している。
 
三重に咲く反日・自虐の毒の花
 
 学校と組合が癒着した温かく安全な空間が確保されているなかで、ひそかに進むのは「いじめ」だけではない。「近・現代の歴史学習を大切にし、加害の面に視点をあてた実践が重要」(『三教組第三十五回定期大会資料/運動の過程と今後の課題』1999・5/29~5/30 三重県教職員組合)と明言するような、反日・自虐史観を重要な柱とする団体に支配されている三重県のことである。その反日・自虐史観の病原菌も、とどまるところを知らず繁殖している。しかも、その実践空間は閉ざされており、外界からの光が差しこまないような防護装置を、三教組は、さまざまなかたちで施しているという。
 たとえば、文部省が来春から導入しようとしている「学校評議員」の制度は、学校を外部から点検する校長の諮問機関であるが、これを三教組は嫌い、三教組の息のかかった者のみで「学校評議員」を選出できるようなシステム(「教育協議会」)を、すでに構築しつつあるらしい。どんな社会組織でも、外部からの評価によって影響を受けないところはないが、三教組の教諭たちは、自分たちだけは“楽園”に住みつづける資格をもつ特別の「身分」である、とでも思っているのであろう。
 このような世界において反日・自虐史観以外の「新しい歴史」の考え方などを学ぶ必要はない。それは、むしろ罪悪とさえいえる。三教組に忠誠を誓ってさえいれば“楽園”での衣食住が保証されるのであるから、半世紀もの間、新しい動きがおこらなかったのも無理はない。
 かくして三重県に咲きほこる反日・自虐教育の猛毒の花は、それ以外の花を知らない教諭たちによって、いたく愛でられ、生徒たちは、そうとも知らないまま、その毒の実を食べさせられることになる。
 それを象徴するものとして、一つの具体例をあげておこう。これは昨年度、三重県下のある中学で、実際に行われた授業である。対象は中学一年生で、「道徳」(!)の時間のなかの「人権学習」として、計六時間をついやして行われたもので、本年、その地区の「教育研究集会」でも広く“公開”されている。
 メイン・テーマは「在日韓国朝鮮人問題」であり、授業は「朝鮮と日本の歴史」以下三つの段階を踏んで進められることになっている。各段階には、二時間ずつの授業時間があてられているが、とくに問題があると思われるのが、最初の「朝鮮と日本の歴史」の箇所である。
 指導案の、この箇所の「ねらい」には、次のような文章が記されている。
 「古代より日本にとって大恩の国である朝鮮に対し、近代からの日本の朝鮮に対する非道な政策と、それによって苦しめられてきた人々の歴史を学習する・・・」
 また、この箇所の「教材について」には、次のようにある。「古代より日本が、特に文化の面で朝鮮から恩恵を受けてきたという点と、にも拘わらず明治以後、朝鮮に対し、日本がとってきた屈辱的な政策と、それが朝鮮の人々に与えた苦しみを、以下の点に重点を置いて押さえる。(日朝修好条規/韓国併合/武力支配/三・一独立運動/関東大震災/創氏改名/強制連行)
 これらの史実は、朝鮮を植民地化し、朝鮮人の人権、生命を著しく侵害したものであり、日本人に内在する残虐性をさらけ出すものである」。
 いったい、これはどこの国での授業か、と疑わざるをえない。また、この授業の指導案における「まとめ」である「指導上の留意点」には、「日本の行為の無謀さ、不条理への驚き、怒りを引き出し、次時につなげたい」とあり、さながら社会主義革命家の民衆扇動マニュアルのようである。しかし、私が最も驚いたのは、「教師側の意図」にある次の一文である。
 「細かい歴史事実の相関関係よりも、日本が自国の利益のためにアジア、とりわけ朝鮮の人々に甚大な犠牲を強いたその身勝手さ、酷さが伝わればよい」。つまり、事実はどうでもよいということであり、ある意味で、そのあまりの「正直さ」には脱帽するしかない。
 かつて「国家社会主義者」のヒトラーは、『シオンのプロトコール』という反ユダヤ宣伝のための偽書を絶賛し、その怪しげな内容を強弁して、「歴史的に事実かどうかなどは、どうでもよい」と言ったらしいが、とにかく日本人の「酷さが伝わればよい」のであれば、この授業も、それと類似した思想にもとづいたもの、ということになろう。むろん、そこには、歴史という学問に対する敬意のかけらも感じられない。
 私も、歴史学者の端くれである。恩師や先輩、同輩、後輩たち、そして広くは学界の多くの人たちが、研究上、どれほどの苦労をしてきたか、そして今もしているかということを、いやというほど知っているが、その苦労は、いずれも「事実」を明らかにする、という目的に必然的に随伴するものである、という点では一致している。しかしながら、どれほど研究者たちが苦労して「事実」を究明したところで、日本人の「酷さが伝わればよい」という「事実」無視の教育現場が、ここに存在するのである。こういう授業をする人たちは、いったい歴史学を何と思っているのであろうか・・・、あるいは反日教育の道具としか考えていないのであろうか・・・、そんなふうに考えていると、私は、怒りよりも悲しみよりも、まず先に、虚しさを感じずにはおれない。
 この授業の「第一・二時歴史学習後の反応」には、授業を受けたあとの生徒の感想が記されているが、それをいくつか抜粋してみよう。
 「私は自分が日本人であることを恥ずかしく思った。同じ日本人として日本人に腹がたった」
 「けんかで例えれば、色々教えてもらった人に礼も言わず、逆に殴りかかるのと同じだ。日本がこういうことをする国だとは思っていなかった」
 「勉強して、過去の恩を仇で返すようなひどいことをして、ちょうせんの人たちを深く悲しめ、傷つけたんだとしって、日本人が朝鮮の人から嫌われても仕方がないとおもった」
 「僕たちの先祖があんなことをしていたと考えると悲しくなる。創氏改名や強制連行、虐殺など、無茶苦茶していたと知ってとても驚いた。当時の日本人は最低だと思った」
 現行の「学習指導要領」「道徳」の「内容」の項には、「日本人としての自覚をもって国を愛し」、「父母、祖父母に敬愛の念を深め」などの文言があるが、この授業では逆に、「日本人としての自覚を失わせて国を憎ませ」、「父母、祖父母に憎悪の念を深めさせる」ことに成功しているといえる。
 なお、教育現場において「学習指導要領」が「法規としての性格」をもち、それから「逸脱」した場合は「懲戒免職処分」もできる、ということは、福岡の伝習館訴訟の最高裁判決(平成二年)でも確定していることである。この授業は、明らかに現行の「学習指導要領」に違反するものと思われるが、そういう三教組の教諭たちが、子供たちに向かって「規則を守りましょう」などと教えているとすれば・・・、もはや私は、笑うしかない。
 しかし、そんな法律論などを持ち出すまえに、ふつうの県であれば、こんな偏向した授業を中学一年生にしていたら、教職員、父母、教育委員会、地元住民などから、直ちに抗議の声があがるはずである。たとえば、平成八年には北海道の小学校で、平成九年には宮城県の小学校と東京都の中学校で、いずれも偏向教育が批判され社会問題となっている。それらの教育と先の授業は、まさに同質であると思われるが、三重県では、そういう授業が実際に行われ、さらに「公開」までされていても、なぜか、どこからも批判の声が出ない。私が三重県を、「日教組の楽園」と呼ぶゆえんである。
 かえりみれば、三重県民は、古くは「神領民」として、悠久の歴史を通じて伊勢神宮を護りつづけ、式年遷宮の奉賛をつづけてきた人々であり、その精神は、戦後の困難な状況のなかでも、衰えることがなかった。そういう三重県民を、私は深く敬愛してきたし、その一員となったことを誇りにもしてきたが、このような教育状況では、その美しい姿も、ほどなく消滅していくであろう。
 それにしても、なぜ自由主義体制の現在の日本において三重県民だけが、教組の専制支配に服従していなければならないのか、私にはわからない。最近、私は、三重県の偏向教育ぶりを知っている東京のジャーナリストから、「いったい三重県は、日本から離れて、どこに行こうとしているんですか。日本から離れるのは勝手ですが、伊勢神宮だけは置いていってくださいよ」とからかわれたことがあるが、私には、なんとも応えようがなかった。しかし、私は、三重県民のほとんどにも、三重県の教育関係者の多くにも、まだ「常識」が残っていると信じている。ただ、三重県民の「優しさ」と「人のよさ」が、「甘さ」と「なれあい」になり、特殊な偏向教育を助長させているにすぎまい。
 昔あるところに「王様は裸だ!」と叫んだ子供がいたという・・・。今や日教組は「裸の王様」である。
 三重県民も、そして日本国民も、もう一度その子供の「常識」と「勇気」を、見ならうべき時が来たのではあるまいか。日教組組織率全国一位の三重県が変われば日本が変わる、私は近ごろ、そんなふうに思えてならない。
◇松浦 光修(まつうら みつのぶ)
1959年生まれ。
皇学館大学大学院修了。
現在、皇学館大学助教授。
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/01254/contents/776.htm

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