2023年6月11日日曜日

かつて存在した『小姓』・『お稚児』の歴史に日本の社会はジャニー喜多川の少年性的虐待に寛容?

日本中世期の事実上の覇者・織田信長は自分の側に小姓・森蘭丸という美少年を『はべらせ』自分の性処理・ペットにした。当然ながらそれを断ることはできなかった。断れば当然自分だけでなく一族郎党皆殺しされるのである。

歴史的に日本において様々な組織の上層部、お偉いさんは男色の性的嗜好が持つ人が多くいたようで、ある意味その『男色』こそ権力者の特権だったようである。

時にそれは『小姓』・『お稚児』と呼ばれたものであるが現代の日本においてそれは『ジャニーズJr.』と呼ばれた。

日本の芸能界に一代で巨大な芸能事務所ジャニーズを創り上げた喜多川はTV業界、メディア、を牛耳ったのである。

彼の言う事はなんでも言う通りになった、『己の性的嗜好』も思い通りになった。

日本芸能界の事実上の覇者・喜多川は自分の側に『ジャニーズJrという美少年達を『はべらせ』自分の性処理・ペットにした。当然ながらそれを断ることはできなかった。断れば当然、芸能界へのデビューの道は閉ざされるからである。

そうやって数多くの少年達のカラダが喜多川に弄ばれた。

ようやく少数の元ジャニーズJrがその『被害』に声を上げ始めた。


 元ジャニーズJr. 石丸志門氏、洗脳40年が解けてついに告白「もっと早く一緒に声を上げていれば」…人気ドラマ出演も逆鱗に触れてクビに

「シブがき隊や少年隊、田原俊彦さんの後ろでも踊りました」と自室で語る石丸氏。「告発をお金にしようなんて、これっぽっちも考え

ていません」

 ジャニー喜多川氏による性加害問題で、新たな告発者が口を開いた。1982年から1985年までジャニーズJr.に所属していた石丸志門氏

(55)だ。


 石丸氏は5月21日に自身のブログで「ジャニーさん、ごめんね」と題して、自らの性被害について綴った。(略)

https://news.yahoo.co.jp/articles/69279d0f7c60b2c23e5ed03f986a6b4e2b302d0b

 

石丸志門氏のブログ


ジャニーさん、ごめんね

僕に性的接触は何度も何度もありました


そのほとんどは口による行為でしたが、一度だけ誰もいない昼間の部屋で僕が挿入する形での性行為をせがまれましたね


当時合宿所にはジュニアが雑魚寝できる部屋があって、大体10人前後でしょうか、一度に寝ます


その部屋に扉続きでジャニーさんの小さく狭い書斎があり、電気を消してしばらくすると、ランダムで数人布団に潜り込んでましたね


どの位置に誰が寝ているのか把握はしてなかったのでしょうが、誰かはわかってやっていましたよね

僕の時もいつも終わった後小声で「石丸、シャワー浴びてきな」って言ってましたもんね


合宿所へは最初のうちは行きたくてもなかなか行かせてもらえず、合宿所に自由に出入りできるように気に入られることが一つのステー

タスでもあり、スターへの着実な階段でもありましたよね


一度ある同期の仲間と一緒に風呂に入っていた時、ジャニーさんの前の晩の話で盛り上がっていたら、風呂上がり後にジャニーさん僕に

向かって「石丸!お前怖い、怖い!」って見捨てるような目で言いましたね

僕はその時「ああ、夜の行為はたとえ仲間内であろうと話しちゃいけないことなんだ」と強く思いそれ以降その話題については誰とも話

さなくなりました


でも、だんだん自分も合宿所に自由に出入りできるようになり、自分のジュニアとしての実績や立ち位置が高くなるほど、ジャニーさん

の性的行為は気にならなくなったのも事実です


だって、次の日には必ず都内に住んでいるのにタクシー代って3万円くらいくれるし、仕事をせがんだら半年間のテレビのレギュラーそ

の場でくれたりするから、夜ジャニーさんが布団にきたら「しめた!」と思うようになったもん


僕は入所する時に親からジャニーさんがそういう行為をする人だということを聞かされていたから覚悟を持って入所したから初めての時

でもパニックにはならなかったよ

母親が大学の同級生に元祖ジャニーズのメンバーがいたから、聞いていたらしくてね


だから僕はこのブログを始める時ジャニーさんの性的行為については一切書かず、それ以外の素晴らしい部分だけを書いてきた


でもね、ジャニーさん、亡くなってもうこのことは有耶無耶に消えていくのかな、と思ったんだけど、時代はものすごい勢いで変わって

いって、ついに表にはっきりと出てしまったんだ


個人的には黙っていることも出来るけど、それを性被害だと表に出ていう人がまた現れて、今度は報道もされるようになって…僕は、結

果的にジャニーさんを庇い続けた「加害者側」になってしまったよ


このブログを見てもしジャニーズに憧れて入所した人が一人でもいたなら、いやいるいない関係なく、僕は世の中に対する加害者側に

立っていたんだと、読者の皆様方には深くお詫び申し上げます


もちろんジャニーさんからそう依頼されていたわけではなく、自分の判断で暴露はよそうとしただけです

ジャニーさんには感謝しています

でも、あそこまでいったらデビューはさせて欲しかったな

学校を変え、友達にも言わず、好きな女の子に告白することも許されず、ジャニーさんに身を任せたのに、電話でちょっと仕事について

専属バックダンサーを辞めたいと言っただけなのに激昂して一瞬でクビにするなんて…個人的にはそっちの方がショックだったよ

(以下略)

http://nomihs1.livedoor.blog/archives/52105702.html


中世の小姓

小姓の名は室町時代に現れ、室町幕府の将軍の近侍に「小姓衆」の語が見られる[1]。


戦国時代の小姓には主に若年者が就いた。平時には秘書のような役割をこなした。戦時・行軍のときは特に主君の盾として命を捨てて守る役目が大きかったため、幅広い知識と一流の作法と武芸を身につけていなくてはならなかった。このため、成長すると主君の側近として活躍する者も多かった[2]。


また、主君の戦国大名が小姓を男色の対象とした例も数多く見られた。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%A7%93


大規模寺院における稚児

真言宗、天台宗等の大規模寺院は修行の場であるため山間部にあり、また、女人禁制であるため、このような稚児はいわば「男性社会における女性的な存在」となり、しばしば男色の対象とされた(ただし上稚児は対象外)。中世以降の禅林(禅宗寺院)や華厳宗などにおいても、稚児・喝食は主に男色、衆道、少年愛の対象であった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%9A%E5%85%90


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