まず、「靖国問題」を解決するには『日本が主体的に戦争総括』と言うけども、3年前の福島原発事故の東電の会長・社長以下の責任・民主・菅政権の責任すら追求出来ないのに今更、戦争総括などできるはずがないでしょ(笑)
そもそもA級戦犯合祀自体が同じA級戦犯としてされながらもGHQに
『取引して生き残った事』『陸軍に責任転嫁して売った事』への『後ろめたさ?』への結果であるし 、その『取引』によって読売・正力、自民党の誕生であり、安保・岸政権という日の目を見たのであって、だから自民政権では分祀は無理なのである。
『お国のために戦った英霊』といっても同じアメリカ人同士が南北戦争で戦い、《神社と墓地》という性格の違いをあるけども『アーリントン』は同じ日本人同士が戦った戊辰戦争、西南戦争での官軍だけ祀られた『靖国』とは全く異なるもであるし、よって安倍首相が調子こいて『アーリントン』=『靖国』て言ったからアメリカは安倍はバカじゃね?と呆れたわけでこの政権に対し『疑念』を持つのは当然である。国有化するなら賊軍の旧幕府軍戦没者、西南戦争、
西郷隆盛 はじめ薩軍戦没者まで祀るのが筋である。
A級戦犯合祀で天皇靖国参拝が途絶えた、と言うけど『宮城事件』のクーデターで天皇の意思によって行われようとしていた玉音放送、とそれの
阻止とは当然、天皇を殺しても阻止するまで視野に入れていた わけでその首謀者達が戦後処罰されず靖国に参拝されている事実は昭和天皇はじめ皇族なら受け入れられるか?という話。
だから、『日本が主体的に戦争総括』というのは以上の問題を『肯定、受け入れ』する事なんだけど、それは結果的に『靖国の否定』・『長州閥がでっち上げた国家神道』・『明治維新のクーデター』の否定に繋がるので国家神道カルトの長州閥・安倍政権ではできるはずがないのである。
※ また宮城事件に参加したメンバーに戦後、電通に入った井田という人が居るから宮城事件に関してマスゴミ、特にNHKでは報道もされないし『なかった事』にされ、血気盛んな若手将校の決断とかいって、どうせ『永遠のゼロ』のように美談化されるのだろう(笑)
それで中韓・朝日・毎日が言う『右傾化』とは国家神道カルトの再興の事で日本の領土・領空を護るための防衛費増大、装備増強は『右傾化』でもなんでもなく『独立国家・主権国家日本』として当たり前の事なのである。(特定秘密法も含め)
軍事的脅威への懸念から批判する中韓、集団的自衛権行使を正当化するための国家神道カルトの再興の模索(道徳必修化、カルト企業経営者の国政進出、独自憲法案での基本的人権削除等)
するのが安倍政権の今後、という所なんだろう。
(以下新聞より抜粋)
民主・前原氏、靖国参拝で「A級戦犯は分祀すべき」
民主党の前原誠司元外相は4日収録のTBS番組で、安倍晋三首相や閣僚の靖国神社参拝に関連し、「何らかの形でA級戦犯を分祀(ぶんし)し、外交問題化にすべきではない」と述べた。
理由としては「A級戦犯が合祀されるまでは昭和天皇が参拝されても、外交問題にならなかった」 と指摘した。
安倍晋三総理の靖国神社参拝を受け、
民主党の長島昭久衆議院議員 (51)が、“年の初めに「靖国問題」について 改めて考える”文章をブログに綴った。
長島氏は「靖国問題」について、日本が戦争責任について主体性を失い、連合国による東京裁判(極東国際軍事裁判)に 振り回された結果起こった問題であるとの見解をコメント。それが故に「A級戦犯分祀論」は余りにも主体性のない議論だと考えており、 極東軍事裁判に振り回された分祀論から一刻も早く脱却したいとの考えを示した。
この
「靖国問題」を解決するには、東京裁判から一線を画して、日本が主体的に戦争総括を行う必要があると意見 。
麻生太郎副総理が数年前に提案した、
靖国神社の「国有化」 を実行に移すことが、天皇陛下による御親拝を実現する道筋であるとの考えを示した。
民主党の細野豪志前幹事長 も東京裁判についての長島氏の見解が自身の見解と一致しているとし、「英霊の犠牲を無駄にしたくないという思いが私にはあります」「勝者の裁きを受けた東京裁判については無念の思いはありますが、戦後の秩序を現実として受け止め、今何ができるかを考えることこそ我が国の国益にかなう」と述べた。
ソース:http://yukan-news.ameba.jp/20140108-118/
宮城事件 (きゅうじょうじけん)とは、
1945年(昭和20年)8月14日の深夜から15日(日本時間)にかけて、一部の陸軍省幕僚と近衛師団参謀が中心となって起こしたクーデター未遂事件である。
日本の降伏を阻止しようと企図した将校達は近衛第一師団長森赳中将を殺害、師団長命令を偽造し近衛歩兵第二連隊を用いて宮城(皇居)を占拠した 。しかし陸軍首脳部及び東部軍管区の説得に失敗した彼らは自殺もしくは逮捕され、日本の降伏表明は当初の予定通り行われた。
戦後 [編集]
事件鎮圧の功労者である田中東部軍管区司令官は、8月24日の夜に拳銃で心臓を打ち抜き自殺した。田中司令官は戦時中に宮中への空襲を許したことなどに責任を感じており、24日に発生した陸軍通信学校教官窪田兼三少佐や予科士官学校生徒による川口放送所占拠事件の解決を気にした行動であった。
近衛第一師団参謀の石原貞吉少佐は、8月15日に発生した水戸教導航空通信師団事件の一部である上野公園占拠事件に際し、第十二方面軍参謀神野敏夫中佐からこれの説得役を依頼された。これは水戸から上京した部隊の指揮官岡島哲少佐が、石原少佐の陸軍士官学校本科教練班長時代の教え子だった縁による。8月19日に東京美術学校に赴いた石原少佐は、説得に納得しない林慶紀少尉によって拳銃で射殺された。石原少佐の遺体は同夜近衛第一師団司令部配属憲兵の境芳郎憲兵曹長により収容された。戦後になり石原少佐は勲四等に叙せられ、靖国神社にも合祀されている。
一方、
森師団長殺害のキーパーソン であり、また兵力使用計画に関与した
※ 井田中佐 は、15日に陸軍省で自殺する決心を固めていたが、これを予期した見張りの将校に止められ断念した。
戦 後は電通に入社し、総務部長及び関連会社電通映画社の常務を勤めた 。戦後の31年になり離婚して岩田に復姓している。同じく兵力使用計画に関与した稲葉正夫は防衛庁戦史編纂官を経て防衛研究所で研究員を勤めた。
事件に関係した将校たちは明らかに当時の軍法及び刑法に違反する行為を行なったにもかかわらず、敗戦とそれに伴う軍組織の解体などの混乱により、軍事裁判にかけられることも刑事責任にも問われることがなかった。
※宮城事件の主犯(実行犯)※とされているのが~
陸軍所属の畑中健ニ少佐と椎崎二郎中佐。
この二人は靖国に英霊として祀られています。
クーデター、要は昭和天皇殺して 玉音放送阻止、とは
幕末、孝明天皇殺して、 睦仁(明治)担いで維新のクーデターと成した長州藩がやった構図と同じ思想で明仁を担ぐという目論みがあった可能性もなくはない。
だから、国家神道再興を夢想する連中が靖国参拝をしない
今上天皇を殺して新天皇擁立しかねないこともない、
ということ。
《宮城事件》の時系列
1945年8月13日
最高戦争指導会議で、《ポツダム宣言の受諾》が決定
1945年8月13日
陸軍所属の畑中健ニ少佐・椎崎二郎中佐を含めた6人の将校らが、 1945年8月13日の時点で、当時の陸軍大臣であった阿南 惟幾(あなみ これちか)大将に 「兵力使用計画」というクーデター計画を掲示、賛同を求めていた。
1945年8月14日
一部の陸軍省幕僚と近衛師団参謀らが無条件降伏受託に反対しーデター計画を画策。
↓
午前
この『クーデター計画自体』は阿南陸軍大臣らに否定され頓挫。
↓
午後1時
御前会議で天皇自ら『マイクの前に立つ』と発言 →『玉音放送』の実施が決定
↓
午後3時
クーデターを計画していた畑中少佐が、東部軍管区司令部の田中大将と面会 結果、クーデターへの賛同は得られず。
↓
畑中健ニ少佐・椎崎二郎中佐を中心とした若手将校らを中心に 阿南陸軍大臣などからの支援無しのクーデター(宮城事件)が 決行されることになる。
午後11時半過ぎ
玉音放送の録音が終了。
無事に終了したが、昭和天皇自らが再度の録音を希望、二度目の録音が行われた。
8月15日午前0時、
《クーデター決行》
下村宏情報局総裁と、NHKの録音技師として(玉音放送の)収録に立ち会った 玉虫一雄さんが録音を終えて帰路についたとき、
坂下門で玉音放送に反対する近衛兵たちに捕えられ監禁された。
↓
しかし彼らは玉音盤を持っていなかったため、反乱軍は宮内庁に侵入した。
午前1時45分
森赳(たけし)近衛師団長は、蜂起に加わるよう説得に来た将校たちに対して これを強く拒否し、殺害される。
午前2時
師団長命令を偽造し近衛歩兵第二連隊を用いて宮城(皇居)を占拠。 電話線の切断、皇宮警察官らの武装解除を断行。玉音放送阻止のための玉音盤の大捜索
畑中少佐は次の手段として、放送会館を武力占拠することで放送自体を不可能にさせ、またラジオ放送を通じ国民に決起の趣旨を呼びかけようとしたが、これも失敗に終わった。
午前5時
阿南惟幾陸軍大臣若手将校の暴走の責任を取って自害、午前7時絶命。
早朝
東部軍と共に東部軍司令官田中静壱大将が自ら皇居に乗り込みこれを鎮圧。
午前11時20分
中心メンバー・畑中健ニ少佐・椎崎二郎中佐自害。
1945年8月15日正午
玉音放送開始。終戦
1945年8月15日の日本で起きた、教科書には載らないクーデター
http://matome.naver.jp/odai/2137612768139220501
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