彼の手記が今まで私が追求してきた桑名市の同和行政の闇の部分、
何故桑名市の同和行政とその利権に群がる人たちはかくも韓国人の『従軍慰安婦』、『日帝植民地支配』のストーカー的タカリと同様、『私達は差別されてるかわいそうな人達だから優遇は当然!』という
『被害者意識』丸出しで行政に執拗にタカルのだろうか?
何故、同和生活融資という市民の税金の金を返さないのか?
何故、今もなお『差別がある!』、『差別がある!』と根拠も証拠もないのに批判や疑問を持つことさえ許さない桑名市の同和行政を正当化しているのだろうか?
また桑名市は数年前には在日朝鮮・韓国人には住民税を40年近く窓口で納税の半額減免していた事実がある。
この手記によって桑名市の『同和行政』と『在日への納税半額減免』というインチキ・デタラメに父親が『韓国人』という事実でリンクし、私が今まで思い浮かべていた『ストーリー』がほぼ裏付けられた。
『敗戦後、大部分の朝鮮半島出身者は帰還した。
しかし、自分の意志で日本に残った者は愚連隊を結成しヤクザになったり、頭の切れる物はパチンコ屋高利貸しで成功したり、
帰れない事情のある連中は当時実質的に行政・警察の手の及ばない『治外法権』の部落へ逃げ込んで『日本人に成りすました』。
その中には共産・社会党が扇動する社会主義・労働運動に傾倒し部落解放運動に参加、その団体のリーダー格になった『なりすまし』も居た・・・』
被害者意識丸出しといっても韓国人の『従軍慰安婦』、『日帝植民地支配』のタカリと部落解放同盟の行政へ寄生・侵食はあくまで『利権』『商売』『ビジネス』『カネ』のための方便でしかないわけ
『名古屋拘置所より
確定死刑囚 兼岩幸男
初めまして、私は名古屋拘置所で生活している未決死刑囚で
兼岩幸男といいます。「死刑と人権」は161号から差し入れをしていただいてます。仙拘の若林君の紹介で送っていただいたと思います。いろんな事が載っていて知識をいただきます。又、洗礼らしいことはしていませんが2006年から岐阜拘置所支所で牧師様に教えをいただいております。
11月1日に最高裁の第三小法廷で上告審弁論がありましたので最近の北村君の例ですと年内には確定の判決を出され確定死刑囚にされてしまうものと思われます。私は「2女性殺害」の罪で逮捕され岐阜県警で取調べをされ、自殺した女性とその約4年後に他の女性の潰れそうな会社の支援をしているという事が気に入らなかった当時交際していた女性に包丁で刺されそうになる無理心中からの正当防衛の冤罪を2件とも殺人であるとされ、一、二審で死刑判決を受けました。
私は同和地区(桑名市下深谷部)出身で私生児として生まれ、母子家庭で育ちました。私の父は韓国人なので私は「合の子」です。
いじめられたり、悩んだりで、辛いこと、悲しいことがいっぱいあったけど、「あなたは合の子じゃない!ご両親の『愛の子』なのよ!」と言ってくれた女性と結婚して幸わせに暮らし双子の兄妹の子供も出きました。仕事も貧乏だったので高卒ですが頑張って上場企業の部長にまで出世したのですが、DV(ドメスティック・バイオレンス)に旦那さんから遭っていた女性を助けたのですが、その女性は更年期障害、アルコール中毒、パチンコ依存症で自殺してしまいました。その4年後に異業種交流会で知り合った四歳年上のマルチ商法にはまって保母さんをしていたときの退職金1000万円をなくして、なおかつ600万円の借金があるのでお金を貸したり、私の仕事上の関係の外食やコンビニの掃除をする会社を設立してやり、コンビニも一店舗経営をさせ息子さんの20歳の人を店長にして毎月親子で50万円位の収入があるようにしてあげたのですが息子が毎晩夜遊びをして昼間コンビニの倉庫で「起すな!」と貼紙をして眠ているのでコンビニの従業員が職場ボイコット寸前になる状況になったので店長を外して掃除の営業をさせたら、たった一日で胃が痛いと言って京都の実家へ帰ってしまった。
同じ頃、
私が店舗開発部長をしていた『焼肉屋さかい』というジャスダック上場企業の不採算店のリストラ店舗を貸していた女性経営者が経営していた鉄板屋の店と中華料理店の二軒とも潰してしまって従業員の給料や食材の仕入れ代、電気、水道代まで未払い金があったので前者の女性の時のように当初240万円、その後もどんどん未払いが出てきたのでトータルで900万円程の金を貸してあげたら、前者の掃除会社の女社長になった女性が嫉妬して私に「あの女はあんたを自分の物にしようと思ってるんや、私にはわかる」などと言うようになって、私の自宅や勤務先へ電話をしたり、最後には私の会社に乗り込んで私と付き合ってるって言ってやるとか、あんなの自宅へ行って奥さんに別れてあんたと一緒になると言い出すやらで私の携帯番号に5分ごとにメールを打ってくるやらでノイローゼになりそうだった。
そしてある日、彼女に「すぐに来てくれんかったら死んだる!」と言われ駆け付けると、包丁を両手で握った彼女が「死んでよ!一緒に死んで!」と言って包丁を向けて体当たりして来た。
私は父親が韓国人であることを知った25歳まで母の籍に入っているので日本国籍だったので自衛隊に在籍していたため武道や格闘の訓練を受けているので、彼女の体当たりを避けて彼女の後ろ側に回り込み包丁をとりあげて奥の居間に彼女を連れて行って座らせた。そして小さな机の上に私の荷物と包丁を置いて彼女を落ち着かせた。そして大丈夫かなと思った時に再び彼女が机の上にあった包丁を取って私に向けたので油断していた私は反射的に彼女を突き倒した。そこまでは記憶があるが気が付いた時には彼女に馬乗りになって(彼女の胸の上に乗って)必死に彼女の首を絞めていた。
だから正当防衛なのであるが刑事と検察は私が彼女が邪魔になり前述の後者の女性と付き合うために殺したというストーリーを捏造したのですが、私は「正当防衛」と言い切った。殺害を認めない私に対し警察は4年前の自殺した女性の件も殺人というストーリーを加えて、なおかつ私の知り合いで行方不明者2名を足して私は4人殺害をして川や海に捨てたというストーリーは作られたのであるが韓国人の女性は帰化して日本人と結婚してペットショップを経営していたし、もう一人の男性は大阪で働いているのが確認され4人殺害はなくなり2人殺害の調書を捏造された。
そんな物に署名して指印を押すわけがないので刑事は殴る蹴る、運動の名目で道場で投げる。しかし、受け身は出来るし自衛隊で鍛えた体には効果ない。食事抜き、水を与えず、狭心症の発作を起こしてもニトロのスプレーを見せて「これが欲しいんだろう、欲しいならサインして指印を押せ!」と言われても死んでも押すものかと思って気を失うまで耐えた。これは拷問でありニトロを与えないのは殺人未遂なのです。
そして、ついに何を言ってきたか「いいかげんにしろ!こちらの言う通りにしないとお前の年寄りの韓国人の父と母親をどんな理由をつけてでもしょっ引いてお前にしてやったように水も与えずトイレにも行かせず長時間取り調べてやる!どうなる?心臓の悪い父親と血圧が高くて足の悪い母親は疲労とストレスで死ぬかもな」「それとも子供を小学校の前に立たせて『この子たちのお父さんは人殺しなんだよ!だからこの子たちは人殺しの子供で韓国人の子なんだよ!』って言ってやろうか?子供は一生心に消えることのない傷がついてお前を恨むだろうなぁ」と言われたらギブアップです。
警察や検察が捏造したデタラメの調書に署名・指印するしかないでしょう。署名・指印しない人がいたら『犠牲の心』はないのか聞いてみたいと思った。そして俺が死刑になって殺されれば済むならば、それでもいいと思って署名・指印した。逮捕後40日目に来た国選弁護士にさえ嘘を言って『俺が殺した』と言い続けた。
そして一審の後半に前述の内容を法廷で話し、刑事も机を蹴った事などは認めたが裁判長は無視して死刑判決。その時、
取調べ中に刑事が言った『朝鮮人や韓国人は皆殺しにしてやる!死刑にして地獄に落としてやる!』が悔しい。
この続きはもう送らないかも知れません。支援者も金もなく再審請求も出来ないので死刑執行が始まったら真っ先に逝きます。
今後は友人宅へ送って下さい。
11月29日午後3時判決に決まりました。
死刑と人権の最新号に載っている
大阪中央局私書箱1191号
発行:かたつむりの会
http://saluton.asablo.jp/blog/2008/09/10/3754686
http://megalodon.jp/2013-0914-1629-55/koyama.exblog.jp/17340922
長良川バラバラ殺人事件、被告に死刑判決 岐阜地裁(朝日新聞)
交際相手の女性2人を殺害し、それぞれの遺体をバラバラに切断して捨てたとして、殺人と死体損壊、同遺棄の罪に問われた三重県桑名市下深谷部、無職兼岩幸男被告(49)の判決公判が23日、岐阜地裁であり、土屋哲夫裁判長は求刑通り死刑を言い渡した。「自己保身のための短絡的で身勝手な犯行」と認定。「被告人に有利な情状を考慮しても刑事責任は極めて重大で極刑をもって臨むほかない」と述べた。弁護側は控訴する見通し。
判決によると、兼岩被告は99年8月15日に愛知県蟹江町本町11丁目のパート従業員渡辺愛子さん(当時43)、03年5月25日には同県一宮市赤見の会社役員村井栄子さん(同49)をそれぞれの自宅アパートで絞殺。いずれも遺体をバラバラに切断し、当時の岐阜県柳津町(現岐阜市)の境川などに捨てた。
事件は03年6月に村井さんの遺体の一部が境川下流にあたる岐阜県羽島市の長良川で見つかり発覚。渡辺さんの死体損壊、同遺棄については公訴時効が成立し、起訴されなかった。
公判では、渡辺さん殺害の有無や犯行の計画性が争点になった。兼岩被告は、当初認めていた渡辺さん殺害を公判途中で「自殺だった」と一転して否認。弁護側は「殺害したのは村井さんだけ。口論の末の衝動的な犯行で有期刑が相当」と主張していた。
土屋裁判長は判決で「本人のみが知り得る具体性と迫真性があり、疑いを差し挟む余地はない」と指摘。兼岩被告による渡辺さん殺害を認定した。また、村井さんの殺害については「確定的殺意に基づいた冷酷かつ残酷な犯行」として、弁護側の主張を退けた。
岐阜地裁で死刑判決が言い渡されたのは、岐阜県坂祝(さかほぎ)町で交際していた女性の家族3人を94年6月に殺害し、殺人などの罪に問われた浜田美輝死刑囚(98年6月に確定、02年9月に執行)以来となった。
http://www.asahi.com/national/update/0223/NGY200702230003.html
彼がどういう経緯で犯罪を犯したのか、確定した刑で罪を償うべきだろう。ただ彼が高校卒業して厳しい規律の自衛隊に入って除隊してもキツイ飲食企業で管理職まで登りつめたその努力というか死に物狂いに働いた姿勢には敬意を表したい。
父親が韓国人だったというソースは今まで出てこなかった事実で
これは意図的にマスゴミ特に地元中日新聞出さなかったのだろう
それが本人の手記から明らかになった
『桑名の部落史』
■ 桑名藩のヒニン頭は宮沢又兵衛と名乗っていた。
■ 桑名藩の掃除の者という賤民の小頭は渡辺吉右衛門と名乗っていた。
『人権のあゆみ・桑名 史料編』(桑名市同和教育資料編集委員会編、桑名市教育委員会、1991)
1724年(享保9年)には四日市にヒニンが46人おり、番人の頭は松山仁蔵と呼ばれていた[3]。
猪や鹿から田を守っていた番人が祖と伝える地区があった。
『部落問題事典』(部落解放研究所編、部落解放研究所、1986)
■ 桑名市xxxには以下の姓の
太鼓屋がある。
阿部
中村
『NTT 電話帳』
■
同地は桑名市多度町小山にいた者が川の洪水で居住できなくなり、移住して来たと伝える。また、移住した者の家紋は伊勢平氏と同じ揚羽の蝶としている[3]。
■ 移住したのは1480年(文明12年)とする。
■ 同地に以下の姓の者がいた。
松田
吉田
『解放新聞 1979年8月20日号』(解放新聞社)
■ 同地に以下の姓の者がいた。
岡田
酒井
佐久間
『人権のあゆみ・桑名 史料編』(桑名市同和教育資料編集委員会編、桑名市教育委員会、1991)
桑名市長島町xxxに以下の姓の者がいた。
伊藤
加藤
『解放新聞 1979年8月13日号』(解放新聞社)
■
全日本同和会三重県連会長に桑名市の中村姓の者がいた。
追記
■ ちなみに、
部落解放同盟F支部書記長も中村姓の者である。